京都、お散歩日記

1人の時も、誰かと行く時も、京都のお散歩は楽しい

桃の節句に「小多福」のおはぎ

暖簾の向こうのドアを開けると、カウンターテーブルの小さなお店。でも、そこはお店というよりも、どこか祖母の部屋を思い出すような雰囲気。

 

ここ数年、桃の節句あたりに「小多福」におはぎを買いに京都に出掛ける

 

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ちょうど、安井金毘羅宮の裏手にあるので、新学期へ向けてのご縁参りの後に伺う。

 

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おばあちゃんは朝早くから一人でおはぎを作っているらしい。注文すると、カウンターの奥からおはぎの入ったトレーを持ってやって来てくれた。すべての種類を1つづつ注文する。シンプルだけど、包み紙もかわいい。

 

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小ぶりのおはぎだけど、カラフルなおはぎの入った箱は玉手箱のよう。古代米のおはぎは少し塩味でお気に入りだ。

 

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お品書きも入っている。

 

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この店は私にとってはどこかパワースポットのような場所。今年も小さく多く福がやってきますように。。

 

 

学問の神さま北野天満宮の前身「文子天満宮」

京都駅から北に向かって10分ほど歩いていたら「文子天満宮」という神社を見つけた。「変わった名前だな?」と思いつつも、中に入ってみると、ここは天神信仰発祥の神社で、北野天満宮の前身と分かる。


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文子とは菅原道真公の乳母を務めた、多治比文子という人。太宰府に左遷された道真の死後、自宅の庭に小さな祠を作って、道真手作りの神像を大切に祀る。それが文子天満宮の始まりのよう。


その後、道真の御告げをもとに北野天満宮が鎮座される。


境内をぐるっと回ると、合格祈願や合格報告の沢山の絵馬がかかっていた。


この神社の名前にちなんで「全国文子会」があるみたい。入会条件は「あや」と付く女性か、文子(ふみこ)さんでもいいよう。残念ながら、私は条件に当てはまらかった。






六波羅蜜寺のおみくじ

六道珍皇寺で特別拝観を見た後に、5分ほど歩くと六波羅蜜寺に着いた。何十年も前に初詣に行き、稲穂をいただいて以来の参拝。

 

このお寺には入るとすぐに「一願石」があり、この石を3回まわせば願いが叶うと言われている。

 

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そして、本堂には教科書に載っていた、「空也上人立像」がある。口から吹き出された6体の阿弥陀仏。この小さな像は「南無阿弥陀仏」の字を表現してるって、日本史の先生が言っていたことを思い出した。

 

友達に聞いて知ったけれど、六波羅蜜寺は開運推命おみくじも有名らしい。四柱推命を元にした占いで、受付前のファイルで自分の生年月日と性別に基づく番号を調べて、おみくじを頂く。

 

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このおみくじは昨年2月4日から今年の2月3日までの運勢。今年の運勢はどうなんだろう。近くに行く機会があれば頂きに行ってみたい。

 

 

 

閻魔大王がいるお寺「六道珍皇寺」

安井金毘羅宮から少し歩くと、「六道の辻」という石碑が立っていた。昔、ここはあの世とこの世の境目だったよう。

 

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その前にある六道珍皇寺。ちょうど特別拝観中で、閻魔大王の仏像のポスターに惹かれて、拝観してみた。

 

閻魔大王と、その隣に、小野篁(たかむら)の像。格子窓から拝観するのでちょっと見づらいけれど、なかなか迫力のある仏像。悪いことをしていたら、この2人には身抜かされそう。(寺の入り口で頂いた新聞の下に像の写真が載っていた。)

 

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閻魔庁に通ったという平安貴族の小野篁。この寺には彼があの世とこの世を行き来していたと言われる井戸がある。左奥にあるものがその井戸の一つ。

 

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そして、リアルな地獄絵も見応えがあった。絵の中心には「心」の文字がある。とても印象的だった。それは、地獄に落ちないためには心が大切だと訴えている。心を大事にしないといけないいう考えは、今も昔もどんなに時が経っても変わらないんだなと感じた。



 

雪の日の京都の思い出

今週のお題「雪」で思い出すことは、4年前の京都でのお正月。

 

この年、関西では元旦から雪が降り、積ってもすぐに溶けていたので、かなり油断していたと思う。

 

翌日、京都に行くと、歩けば顔に何かが突き刺さるよう寒さだった。今、考えると、おそらく、ここ数年で1番寒かったんじゃないかな。でも、あの時はパラパラと降る雪を見ても「また雪が降るのかな?」と軽く考えていた。

 

しかし、親戚の新年会を終え、外に出ると京都市役所前の景色が変わっていた。

 

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 一面が真っ白になっていた。

 

この時、頭も真っ白になっていたと思う。車でやってきていた私達は、もちろんチェーンなんてものはない。

 

「家に帰れるのかな。。。」

 

と思いつつ、轍の無い道路を走ることがこんなにも怖いことだと初めて実感する。京都タワーもぼやけて見える。

 

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ブレーキも踏めない、視界も悪い、車内は子ども達が当時好きだった「アナと雪の女王」のサントラが流れ続ける。

 

怖い。怖い。怖い。

 

帰宅に普段の倍以上の時間がかかり、大人は帰るまで気が張っていけど、子ども達はこの状況でも爆睡していた。

 

普段、雪に慣れない私が、雪の日、車での外出には気をつけないといけないと思うようになった出来ごとなった。

 

 

 

 

 

五条大橋の牛若丸と弁慶

車通りの割と多い五条大橋、その横断歩道の途中に可愛らしい牛若丸と弁慶がいる。急いで渡ると見逃してしまいそう。


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実際は松原橋で出会ったと言われ、現在のこの五条大橋ではないみたい。だけど、はるか昔、この辺りであの2人が出会っていたのかもしれないと考えるだけで少し感慨深くなる。

大学時代の節分と懸想文

今週のお題「わたしの節分」。私の大学時代の節分のことなど、すっかり記憶から抜けていた。しかし、ちょうどそれを思い出す機会があった。それは昨年の金戒光明寺に行く途中、久しぶりに須賀神社の前を通りかかったから。「あっ!」と遥か昔の節分の日のことがよぎった。京都では様々な神社やお寺で節分祭があるものの、私が行ったのは大学時代の一度だけ。それがこの須賀神社の節分祭だった。

 

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須賀神社の節分祭は懸想文売りからお守りを買える。懸想文は恋文にあたるもので、良縁にご利益があるよう。昔、貴族が顔を隠し、懸想文の代書をして売っていたのが起源らしい。私は本でそれを知り、節分の日に須賀神社に向かった。烏帽子をかぶり、顔が布でほぼ隠れた懸想文売りは怪しさ満載だったけれど、恐る恐る近づいてみると「これを人知れずタンスに入れておくと、着物が増え、容姿もきれいになれますよ」と話をしてくれた。

 

この時期にしか手に入らないもの。私は懸想文をまるで大きな物を得たように、大切に持ち帰り、すぐに自分のタンスに入れた。その後、確かに洋服はタンスに入らないくらい増えたと思う。しかし、容姿の変化は神さまでも難しかったみたい。少し足をのばせば、吉田神社の節分祭にも行けた。でも、あの頃の私は節分の豆まきより、鬼より、このお札だったんだなと思う。


季節の変わりめ、邪気を払うことなど全く考えず、良縁や容姿の良さを求める、その時の自分にとって現実的な幸せを求めていたことに若かったんだなと思う。今の自分がこの時期に京都に行くならば、節分の儀式を見てみたり、せっかくなので福豆をいただきに行きたいと思う。